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by wakodaigaku
| 2006-07-29 11:13
和光高校の前に並んだ一騎当千のサムライ達です。 高校の前で不当処分撤回の騎馬戦が始まりました。テムさん流です。 「精神病院のなかで・・・」が聞こえてきました。 人気blogランキング参加中クリックを! #
by wakodaigaku
| 2006-07-26 03:59
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人気blogランキング参加中クリックを! メールはこちらへ・・・! プロローグ それは、ボクたちだって、革命が起きると思っていたわけじゃない。 でも、何かが起こりそうな、そして変わりそうな気配だけは、感じられた時代だった。そして、社会の矛盾だけは、するどく感じられた。 ボクが、高校1年の時、 新宿フォークゲリラの事件が起きた、銀座を歩けば、ベトナム戦争からの休暇のアメリカ兵がたくさんいた。そして、信じられない事に、東京のまんなか、、王子にアメリカ軍の野戦病院があったんだ。 ボクが中学生の頃から、ニュースはベトナム戦争の事ばかりだった。そして、親が汗水たらして働いたお金で子供達を入学させた大学で、その貴重なお金をちょろまかして使っていた許せない事件が発覚した。それが、日大闘争だった。東大でも、別の理由から闘争が起こった。 世界的にも、同じだった。たしか’67年には、フランスの5月革命がおきた。アメリカでは、ハーバードもコロンビアもバリケードストライキをやっていた。 中心になっていたのは、ボクたちより少し先輩の、今「団塊の世代」と呼ばれている人達だった。 ボクらの世代は、何となく「遅れて来た青年」という感じだった。 そんな、'71年、梅根学長の大学論に感動し、ボクは和光大学の6期生として入学した。 大学は期待を裏切らなかった。梅根学長は「先生と学生がいれば授業はなりたつ、場所は教室でなくても授業はできる。」という考えの下、バリスト中でも授業は続けられた、 機動隊の導入なんかは、一度もなかった。もっとも、向こうからかってに、やってきた事はあったけど・・・ そんな和光大学。ボクは毎日NIKON Fに28mmを付け、写真を写しまくった。 ’73年にベトナム戦争が終わり、3年の時には1年間、写真家長友健二氏のアシスタントになった。 '75年卒業、第一次石油ショックの真っ最中で、和光大学から、まともな就職先は無かった。ボクはカメラマンを目指していたから、親のスネをもう少し長く囓る事にし、芸術学科の専攻科に進学、同時に朝日カルチャーセンターにあった「広告写真の講座」に通った。途中で広告写真の講座の講師、写真家杉木直也氏のアシスタントになる事ができたので、専攻科は中退し、写真の道に本格的にすすんだ。 ボクの写真の原点は「和光大学戦中悲話」のなかにある。 以前の記事
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